ライブビューイングでオタクTシャツを着ている話。
1ヶ月前、アンジュルムのひまわりであり愛の象徴だった佐々木莉佳子がグループおよびハロー!プロジェクトを卒業しました。
私は現地に赴くことができませんでしたので、ライブビューイングにてその卒業公演を見届ける形になりました。当日は仕事をいつもの倍の速度でこなすべく、段取りから後処理までの手はずを前々から準備していたおかげで18時開演になんとか間に合わせることができました。
平日18時開演、やはりつらい。
そうしていざ、持参した「最強」Tシャツ(2代目アンジュルムリーダー竹内朱莉の書道展示会 煌々舞踊 にて販売されたもの)に着替えて映画館へ足を踏み入れますと
オタTを着ている人が……いない!!!
メンバーカラーに黒字ゴシック体でメンバー名字を書いた、ハロプロ研修生のTシャツを彷彿とさせるアレや、
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バースデーイベントにて販売されたアレ。メンバーがデザインしたアレ。
そんなアレが、目に入ってこない。
会場は暗転しておりましたしその時私が見つけられないだけかと思いましたが、終演後に帰宅していく客らを改めて見ても、みんな…着ていない。
ただ、黄色のお召し物やグッズを身に着けている方はわりと大勢いらっしゃいました。
スクリーンから現地の客席を見ますとやはり「佐々木」の黄色Tシャツを着ている方は多く見受けられましたし、これが現地とライブビューイングの違いなのでしょうか。
さて、ライブビューイング会場で一人「最強」シャツを着た私はというと
みんな、一般人に擬態して来たんだ……。
というのが感想でした。
さすがに私も映画館に着いてから着替えましたし、考えてみれば確かに全く無関係の人が大勢いる外でオタTを着ようとは微塵も思っていませんでした。
まあ帰宅する際は着替えが面倒で着たままだったのですが……
その思想の心理とは?
考えました理由としては、
- 自身の信仰する事象を不特定多数の前で強制的にアピールするということに、躊躇うから。
- いわゆるオタクの格好が美意識に反する。
- ファッションとして成立していない。
かなと思いました。
まず
信仰する事象は強制アピールをしない
こちらについては、推し=信仰としました。
ある一つの事象に魅了されているという点では、推しも信仰も大差ないという私見です。
宗教しかり何かしら特別なイベント以外で、自身を広告塔にするような形で他者へアピールすることはほぼないように思います。
これは日本人の持つ奥ゆかしさなのか、人と違うことを目立って行いたくないという意識なのか。
"オタク"の格好が美意識に反する
15年前と比べ、随分"オタク"の地位は向上しました。人権を得たとも言えるかもしれません。
しかしながら、多くがイメージするいわゆるオタクっぽい格好というのは、ファッション的な評価から見るとオシャレで真似したいと思うものとは遠いようです。
一部の過激なオタクの行動がSNSで批判を呼ぶこともしばしばありますし、偏った思想を持つ集団と同類の人物だと外見で判断されるのを避けているのかもしれません。
しかしながら、よくよく考えると野球の応援ユニフォームを着たままのファンを見かけることは多いですし、アニメやゲーム、アイドルのオタクと何が違うのか。
ファッションとして認知されていない。
野球のユニフォームを模した服は多数に認知されておりますし、デザインによってはユニフォーム風でカワイイ!という評価を受けることもあります。
ユニフォームや制服のように決まった型はありませんので、なんとなく雰囲気がオタクっぽい…という感覚は大勢に備わってきたようですが、これを形骸化してファッションとして認めていくには時間がかかるか、難しいことだと思います。
色々私見を述べてはみましたが、現地に行けなくてもライブビューイングでも私はオタクTシャツを着ます。
フェスでも着ます。
推しが客席を見渡したときに、仲間がたくさんいるなと気づいてもらうにはやはりオタクTシャツしかないのです。
………それは言い過ぎたかも。
なんにせよ、推しは現実や苦しみから離れられる存在ですし、それを充分に味わうには外界での一般的な感性ではない、普段の自分ではない外見で挑むというのもオン·オフ切り替えるためには必要なことかもしれませんね。
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それでは次回の記事でまた。
しま はちねこ。