夏の暑い時期になると思い出す猫がいる。
実家で飼っていた猫がいた。
猫飼いなら同じ気持ちが分かるだろうが、飼っていたというより同じ家で暮らしていたという表現が近い。
猫は本当にマイペースなのだ。
ちょっと、カリカリの時間じゃないの?
いやよ、ここが落ち着くんだもの退かないわ。
なに、いま触られるのはきらいよ
あら、この毛布はなかなかいいわね。
しっぽとひげの様子で何となく言っていることがわかる。
猫はツンケンしている、と嫌厭されがちだが、自我がしっかりしすぎているが故のことだ。
ただし、わたしが思い出すのは先程書いたような"プリンセス お猫"とは一風違った猫だ。
ある年の梅雨時期、ひどい雨の中で猫の譲渡会に赴いた。その場で
この、このキジネコでおねがいします!
とわたしが言って、スタッフにひょいと掴み上げられた小さな毛玉がいた。
キジトラだがお腹と手足は白くて、いわゆるサバ柄みたいな感じだ。その靴下みたいな柄がもう可愛くて、この猫が一番に目に入ったのだ。
一緒のケージに入っていた姉妹猫の長毛猫の方は、一匹になった途端に小さな手足でケージを登り大声で鳴き離れ離れにするな!と訴えるなどしてそれはそれは存在感があった。靴下猫は仔猫なりに元気ではあったが、控えめな様子もあった。
結局そんな姉妹猫たちを離れ離れにする訳にもいかず、思いがけず一緒に連れて帰ることとなり長毛猫はいまも健在だ。
長毛猫は家に連れ帰ってからどんどん気位の高さを披露したのに対して、靴下猫は猫らしい部分はありながらも、どうしても半歩引いたような控えめな様子の方が印象的だった。
テーブルに手をかけてスッと立ち上がり、まるで
お忙しいところすみません。
とでも言うように ほふ ほふ と爪を隠したふわふわの前足でこちらを触ってくるのが彼女らしく、愛らしかった。
我が家で一緒に暮らして四季が何度か巡ったある夏の日、今までに聞いたことのない彼女の鳴き声で家族皆が飛び起きた。
病院へ駆け込むと、猫に多く発症するという急性心筋梗塞の診断だった。おそらくその痛みで叫んでいたのだろうとのことだった。
闘病生活は数日間で、夜間の動物病院からの電話で終わりを悟った。
昼間はうるさかったセミの鳴き声が止み、時間が止まったように真っ暗でじっとりとした暑い暑い夏の日だった。
ああ、痛かっただろうなあ
苦しかったろう
がんばったなあ
と彼女の靴下を家族で代わる代わる擦ったことを覚えている。
そうしてたくさんのオレンジ色の花と共に、靴下猫は白くてか細く美しい煙となり、虹の橋を渡った。
靴下猫がいなくなった次の年のまた暑い暑い夏の日、わたしはある夢を見た。
大勢の人に逆行してわたしは歩いている。
大勢の人の行く先も、わたしの行く先も、わからない。
それでも行かないといけない気がして人をかき分けて歩いていると、すれ違った女性に
あの!!!
と声をかけられた。
30代くらいの細身で小綺麗な女性だった。
わかりますか??わたし、あの、みりんです!
わかるわけがない。だってそれは去年死んだ猫の名前だもの。同じ名前の人なんて知らない。
でもその時は夢の中だからか、すぐに腑に落ち理解できた。
あぁ、あなたがみりんなの。そうなの。
良かった、会えて。
そう言うと、彼女はとても喜んで
そうなの!
ああ、わたし、行かないと。また!元気で!
と叫び微笑むと、人混みにまぎれてしまいもう見えなくなった。
じゃあね!またね!
見えなくなった彼女にわたしは叫んだ。
夢は、終わった。
夢の中だけども、あれは確かにわたしの愛猫だったと確信できる。
幸薄そうな雰囲気、こちらの表情を伺いながら話す様子、あの猫でなければあんなにぴったりな女性はいない。
恐らくだけど、彼女はいよいよ次の世界に旅立ったのだろう。その旅路でたまたまわたしが居たもんだからびっくりしたろう。
じっとり暑い夏の夜になると、彼女を思い出す。
猫なのに、ナーとかネーとか鳴くし、兄が寝転ぶとその上で小さく香箱座りをする。
ソーセージととうもろこしが好きだったけど猫には塩分が多いから少ししかあげなかった。
座ったときフラミンゴみたいに片足だけ上げる癖があった。
耳と耳の幅が狭くて顔がシュッと尖っていて綺麗な目をしていた。
お盆は近い。
彼女は次の世界に行ったと思いながらも、夢でまた会えないだろうか期待してしまう。
あんなに素敵で優しい猫は、金輪際出会えないだろう。
夏は彼女の季節だ。
しま はちねこ。